目の前の人と関わる、ということに取り組んでいると、
目の前の観葉植物や、目の前のティッシュの箱、といった、
人以外のものと関わる、ということが意識に上がってきました。
観葉植物であれば、
「ああ、水をこれくらいあげよう。」「この下葉はもう要らないね。」とか、
ティッシュの箱は、
「この位置じゃないな、もうちょっと右に置いた方がリズムがいいね。」
といったことが自然に浮かんでくるので、その通り行動してみます。
すると、そこが整ったような気持ちいい感じになります。
今日は、庭の雑草を抜いている時に、ふと、
「あ、この雑草と関係してみよう」と思い立ちました。
それが思い浮かぶまでは、何本かの雑草を手のひらで握り込んで、
力一杯引っ張る、という抜き方をしていました。
ブチブチブチ、と根や茎がちぎれる音がします。
そこで、「雑草と関係する」と意識した上でやり始めました。
手のひらや指の力をできるだけ抜いて、茎に優しく触ります。
軽く円を描くように手を動かすと、アカン方向がわかります。
アカン方向に動かすと、茎が切れて根が地中に残ってしまうのです。
イケる方向、というのがあって、その方向に雑草を動かすと、
雑草は少し動き、次のアカン方向が出てきます。
その次のアカン方向を避けて、その瞬間の、イケる方向を感じ取ります。
そうやって、ここしかない、というイケる方向に、イケる力で雑草を動かす、
ということを繰り返していると、
ある時、茎や根が途中で切れることなく、
雑草全体が、すぽ〜っと抜けるのです。
力が全然要らない。
ちょうど、焼いたサザエの身を爪楊枝で回しながら引っ張り出す時に、
最後のクルクルまで綺麗に取れる時みたいな感覚です。
これまで如何に、雑草のことを感じずに草引きをやっていたのか、
と感じつつ、他のいろんなことも同じだと思いました。
これはこんな感じでやるもんだ、という自分の思い込みで、
必死で力に任せてやってみてるものの、思うような結果にはならない。
なったとしても、相当に力を浪費して疲れてしまう。
よく感じながら動くと、こっちの方向にこれくらいの力で、
と自然に感じられるので、その通りやれば、物事はもっとすんなり行くはず。
今日は、コレにはまってしまいました。
2時間ぶっ通しで、「雑草と関係して抜く」 をやってました。
あとで、妻にこの話をして「オモロイからやってみ!」と言ったところ、
「いいよ、別に、雑草と関係ってしたくないし、
そんなに楽しいんだったら、もっと草抜いて。」
と返ってきました。
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