ぼくは草刈機で草を刈るのも好きですが、
最近、草を抜くことにはまっています。
今朝もふっと気づいたら、雑草抜きを始めていました。
出勤前にこれをやり始めると、
確実に遅刻するギリギリまでやってしまうので危険です。
雑草を刈るのと、抜くのでは、
本質が違います。
雑草をよく感じて、根っこが途中で切れないように抜く作業は、
自分の生き方や仕事について深く考えることとリンクします。
(もちろん、ぼくにとっては、という意味ですが)
今日は自分の職業である、
セラピーと関連づけて雑草と関係していました。
指先で草をつかむ。
この時に必要以上に強い力で触れてはいけない。
これは、クライアントの話を聴くとき、身体に触れるときに、
不必要な力を働かせないということと同じです。
なぜ不必要な力がよくないかというと、
根っこを感じられなくなるからです。
この時の根っこは、
話の本質、身体症状の原因と同じ意味です。
雑草の根っこがどのくらいの深さで、
どのくらいの力で張っているか。
クライアントの問題、症状がどのくらい深くて、
その潜在的な力はどの程度か。
次に、雑草の茎を持って、
根っこを感じながら任意の方向に動かします。
これは、クライアントの話に対して質問したり、
身体を小さく揺すったりするのと同じ意義です。
そうすると、雑草が引っかかるところが指先を通して感じられるので、
そこを避けて、ひっかかりのない方向を探して雑草全体を動かしていきます。
クライアントの話が行きたいと感じている方向を邪魔せず、
頭での解釈を入れないように注意しながら、流れに乗ります。
身体の筋肉の緊張やひっかかりがなく、
滞っていた力が抜けていく方向に動きを合わせます。
たまに、この辺りで雑草の根っこが、
ブチっと切れることがあります。
土の上に出ていた緑色の茎が切れて、
見た目上は雑草はなくなります。
けれど、地中に根が残ります。
特にイモを残す種類の雑草は、
確実にここから再生して再び地上に芽を伸ばしてきます。
セラピーでいうと、
クライアントの話が深く進んでいかず、
表面の話で終わってしまうパターンです。
もっと深いところに根があるのに、
表の方の話で「わかりました。もう大丈夫です。」となる。
身体症状なら、
肩こりの表面的な症状は取れて楽にはなったけど、
それを生み出す身体の使い方のクセや、
心の持ち方、考え方の癖は元のまま、というやつです。
雑草の最後の、細い根っこの毛までうまく抜けないと、
「くそー、まだまだやなー」と悔しい思いをします。
同じように、
心や身体のどれだけ深いところにアクセスできるかは、
セラピストの実力次第です。
やっぱり今朝も、遅刻ギリギリでした。